2011.05.01発行

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2011年 第32号SEIHOオフィシャルニュースレター 2011年 第32号

HISTORY OF S ~SEIHO小史~

7k8o.jpgSEIHO小史 わが人生七転八起第32回「二年で借金返済」


 西邦電機のアキレス腱は販売にあった。

 昭和五十七年ごろ、福岡と広島に知人が会社を設立し、それぞれ「プッシュ・ファン」の販売に乗り出したが、床下換気扇自体の知名度の低さもあって、どちらも長続きしなかった。代理店方式も、前述したように、思うような成績をあげることはできなかった。

 直販の営業マンを、数人採用して本社においたものの、全国を股にかけてまわるようになるまでには育ってなかった。大口の顧客や全国的なエリアは私が担った。だから、私が営業にまわれる間はよかったが、それができなくなると販売が行き詰まる構造になっていた。

 さて、私が以前の得意先を訪ねると、

「大石さん、あんた元気やったんか。風のたよりに、もうあんたは日本におらんと聞いとったで」「西邦さんは倒産したと聞いとった」

 無責任なうわさを信じていた社長は懐かしそうに歓迎してくれた。

 ちょっとばかりの間に、私は「倒産した」り、「夜逃げした」ことになっていた。競争相手が流した根も葉もないうわさは、相当浸透していた。「死んだ」ことになっていなかったことが、せめてもの幸いだった。そのうわさも、私が直接訪問するようになって、雲散霧消した。

「あんたが元気やったら、また頼むわな」

 誰もが以前のように取引を再開してくれた。

 一時、月に四〇〇セットに落ちこんでいた「プッシュ・ファン」は、二カ月後の昭和六十二年一月には七〇〇セット台に回復した。利益はざっと一五〇〇万円。五〇〇万円の施設リース代は、もはや負担とならなくなった。工場の人員は半減していたから、人件費も減っていた。その他の経常経費を差し引いても、毎月六〇〇万円~七〇〇万円の利益が出た。それでリースだった機器設備を買い取るようにした。

 フォローの風が吹いていた。円高不況時の政府の積極的な支援策が奏功して、景気は一気に回復へと向かった。後に「バブル」とよばれる長期好景気である。この好況は長くつづき、造ったものは片っ端から売れた。

「プッシュ・ファン」も一三〇〇セットを超えて売れるようになった。その後もさらに売れ行きを伸ばした。一方、品質が格段と良くなった自社モータも、製造が間に合わないほど注文が増えた。

 昭和六十三年十二月の決算は、大幅な黒字となった。

「七年間待ってください」と願い出て、快く協力してくれた取引先への借金は、それまでに、利子も含めて返済していた。リース設備の買い取りも順調に進み、機械は全部自社のものになっていた。会計は六十二年度も数千万円の黒字を出していたが、その額はもう比較にならなかった。

 昭和天皇が崩御され、元号が平成と改まった。

 足をひっぱるものが何もなくなると、経営にも積極性が出てくる。「プッシュ・ファン」に次ぐ、まったく新しい商品開発へ、また意欲がわいてきた。

 内なるチャレンジの炎が、燎原の火のように、広がっていった。