2007.07.1発行WIND FROM FUTURE Vol.18
2007.07.01発行
目次
■自主警備型セキュリティシステム、さまざまなアプローチ方法で活用されています。
■新築物件への取り付けについて
■単独型の住宅用火災警報器「火無安全」発売開始
HISTORY OF S ~SEIHO小史~
第18回「人手不足をベトナム難民で補う」ー後編ー
最初は空いた建物に受け入れ、敬虔なシスターらが、言葉の不自由なその人たちの身の回りの世話をしていた。
ところが一、二年後には難民も百数十人に達し、収容する場所がなくなった。急きょプレハブの建物を建てた。国連からわずかの生活費が出ていたが、元気な人たちは、処遇が決まるまでの間、一時的であれ働ける場所を求めた。シスターや近所の人々の紹介で、町内のミカンの集荷作業や佐賀県の精肉工場などのアルバイトに喜んで出た。人伝てに話を聞いた私は、この人たちに、松長電機の急場をしのいでもらったらどうかと考えた。
私と松長電機の関係は、仕事を回す本社の営業マンと協力会社の関係だった。だがいずれ九州松下を辞めるつもりだった。そのときのためにも、ちゃんとした落ち着き先は確保しておきたかった。
昭和五十二年一月から、ベトナムの女性八人を採用した。工場までクルマで二十分のところを、送迎のマイクロバスを出した。彼女らは知性もあり、手先が器用で、捲線の技術を覚えるのも早かった。すぐに戦力となり、品質、納期ともクリアできた。彼女らに長く勤めてもらおうと、私は町営住宅の入居を町に働きかけた。真冬であり、彼女らは日本の寒さがこたえるようだった。
私は日曜日に、彼女らを自宅に招き料理で慰めた。
彼女らは私が用意した豚肉や鶏肉、魚、貝にキャベツなどありあわせの野菜を使って、ベトナム料理を作った。
皿に盛られた料理は、どれもトウガラシで真っ赤だった。中国料理よりコクがあり、おいしかった。
「パパさん、このチャオ・ジャア(春巻)、おいしいか」
米の粉で巻いた春巻を口に運ぶ私を、カオ・ジュイ・リンの大きな瞳がのぞきこんだ。
彼らはアメリカやカナダでの定住を希望しており、間もなく、それぞれの受け入れ国へと旅立っていった。
一年たらずの短い間だったが、私は二十八人のベトナム人男女を採用した。そのうちの数人は日本に定住している。ホームパーティーは、楽しい思い出として、今も私の記憶に生きている。